飛行機を降りてそのまままっすぐ入国手続きに進むが、予想通り混んでいて3、40分並ぶ。並んでいるとラテン系顔のおじさん係員が、記入漏れがないか1人1人のカードをチェックしていく。“米国内での住所”の欄に‘TRANSIT’とだけ書いていると
「メキシコ?」
「ペルー」
「アブロ・エスパニョル?」(スペイン語話せる?)
「ノー、ウン・ポ〜コ」(ちょっとだけ〜)
すると彼は「ノ〜?」とちょっと残念そうに言いながら我々のカードに“PERU”と書き加えてくれた。外国人用のブースに座る審査官は、たいがいにして我々を見下すようにギロリとにらんでから手続きを始める。質問するしないは様々で私は何も聞かれなかったが、Mちゃんは「なぜペルーに行くのか」と聞かれて「観光」と答えると、さらに
「なぜ観光するんだ?」
なーんて大マジメに聞かれたそう、イジワルだ。
「マチュピチュに行きたいからよ!」
と言えばそれ以上は突っ込まれなかったらしいけど。
入国に時間がかかっている間に荷物はターンテーブルから降ろされていて、ピックアップして税関を通り、すぐ先でまた預け直す。タグはリマまでになっているし、リマまでの搭乗券も成田でもらっているので再度チェックインの必要はないが、感心しないシステム。さらにその先で待ち受ける係員に搭乗券を見せるとゲートを教えられる。たいてい飛行機降りたらすぐモニターがあって、次の便とゲートは自分で確認するものだが、ヒューストンの空港にはあまりモニターがない。‘E8’と搭乗券に手書きされる。
Mちゃんと米国に降り立つのは3度目になる。10年前、はじめてアメリカに来たのも彼女とだったし、ユタ・アリゾナの国立公園をレンタカーで回ったのも彼女と。その後ずいぶん長い間、一緒に旅する機会には恵まれずにいたから、またこうして、それも同じ方角にやってくるなんて思ってもみなかった。単に縁ってだけじゃなくて、波長が似てるのかな。元気でタフで見かけより(?)好奇心旺盛、ポジティブ思考なのも頼もしい。お陰で過去の2人旅は、国内外とも癒し・のんびり・贅沢などとは全く無縁、ガツガツセカセカ・じっとしていられない貧乏性な旅。無謀な上に無計画とくればもう大変。奇遇で貴重な伴侶、どんな旅になるのか楽しみでありながら、ちゃんと計画を立ててセーブしないと珍道中以上のえらいことになるかも・・・とどこかで客観的になる自分がいたりする。厄年の女2人だし! もちろん嬉しいし感謝してるけどね(とフォローしておきます、苦笑)。ちなみに、このサイトには過去にも主に2人の‘HMちゃん’が登場してますが(ギリシャ旅行記&NY旅行記)、イニシャル同じながら全員別人であります。
昔話に花が咲くのは年をとった証拠・・・と思いながら、記憶の断片をつなぎ合わせるのも楽しい。彼女と話をしていると、記憶から抜け落ちていたいろんなことが不意に鮮明によみがえってくる。NYのリンカーンセンターにNYフィルを聴きに行って、コンサート前に食べたパスタの味。‘メイシーズ’でヤンキースのチケット売り場を訊ねても通じず「トイレはあっち」とばかり言われたこと。ネバダ州とユタ州の間に時差があることを知らず、ブライスキャニオンで日の出を見逃したこと。‘インターネット’なんてものがまだ普及する前(どころか名も聞いたことがなかった頃)、ホテルに直接せっせと送った予約FAX。そして返事はきたりこなかったりで、時差に関係なくこちら夜中の3時とかに返信よこしてきたこと。ところが、2人してどうしても思い出せないことがでてきてしまう。山火事で閉鎖され、ゲート前まで行ったもののレンジャーに入れないと追い返されたコロラド州の国立公園の名前。園内のホテルを予約し、楽しみにしていたのに泊まれなかった、あそこ。どこだっけ? 頭文字がMであることだけは浮かぶのに、出てくるのは道中や近くにあった別のスポットの名前ばかり。メテオ・クレーター(数千年前?ほんとに隕石落下したクレーターが残ってる)、モンテズマ・キャッスル・・・違う違う。これは結局旅を終えるまで思い出せず、気持ち悪い思いをしながらやっぱり脳ミソも老化してるんだなとちょっぴり悲しくなりました。(正解:メサ・ヴェルデ(Mesa Verde)国立公園!)
E8のゲートまで空港内を500m以上歩かされる。途中で見たTVモニターは、2時間先までの出発便だけで6つの画面ぎっしり。空港はきれいなのはいいがレストランとファストフードばかりで、NASAのショップ以外面白い店も買いたいものも全くない。本屋も免税店も貧弱で、買い物どころか時間つぶしすらできない。明るいけれど新鮮さのない空港と、ききすぎている冷房、そして長時間のフライト明けの疲労はこんな我々をも無口にする。トイレで歯を磨いて顔を洗い、やっとたどり着いたゲート前のベンチでカーディガンをはおり、1時間眠る。
リマへの便も30分前に搭乗が始まり、眠い目をこすりながらヨロヨロと乗りこんでびっくり、飛行機が小さい! 思わず
「こんな小さいので7時間も飛べるん?」
通路挟んで左右3列ずつの小型機、座席は27番でも後ろから数列目で200人乗りくらい? さすがにジェット機ではあるけれど、これで7時間の国際フライトと考えるだけで気分的に窮屈。もちろんパーソナルTVなんてものもついていない。そして、リマまで空いているといいのに、という我々の期待もむなしくまたもほぼ満席。見渡せば日本線ほど肥満率は高くなく、浅黒い、日本人にも近い顔の混血が増えた感。機内アナウンスもスペイン語と英語になる。それでも、いよいよ南米に向かいますのよという実感はわかない。我々の隣、窓側に座っていた兄ちゃんはまたしても小柄でおとなしげな人物でほっとする。ほっとしたせいか、それ以上周囲の人間や機内の様子を観察することなく寝てしまう。
乗って1時間たつのにいっこうに飛行機動かないな・・・と頭の片隅でうつろに感じていたが、気づけば雲の上で離陸した記憶がない。コンチネンタル航空1107便リマ行きは、16時半頃、少し遅れてヒューストンを発った模様。カリブの上空を飛んでいく。水平飛行に入るとすぐまた食事、機内食で食い倒れそう。
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◆ INFLIGHT MEALS 4回目 ◆
カツレツみたいなチキン ★★★
サラダ、パン
チーズケーキ? ★ |
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肉は見た目より美味しいが、3分の1食べてみたところで早くも苦しくなり、箸をつけたことを後悔する。太りそう(再び)・・・。周辺の連中は当たり前のようにモーレツな勢いで平らげてたけど。ヒューストン線でゲームしまくり喋りまくって暴れすぎた我々は、もはや口数少ない。食事を下げてもらいトイレでしっかり歯を磨いて、おとなしく眠る体勢に入る。
12時間飛んだ後また7時間飛ぶなんて・・・と思っていたが、具合悪くなるようなことはなく、恐れたほどに長くはなかったかもしれない。遠いだ遠くないだとどうこう言うより、すでに時間の感覚も体のリズムも狂わされて正常じゃないのでよくわからない。ただ、‘南米’という響きだけで特別遠いと思ってしまいがちだが、バンコク経由でアテネに行った時も時間的には同じくらいかかったような気がするし、米東海岸だってロスで乗り換えれば10時間+5時間くらいかかる。今振り返ってみても、実際の距離より、旅行前から情報収集しながら感じた、情報の薄さからくる距離感の方が大きい気がする。
「ツアー雑誌見ても‘未知の国’のところに追いやられてるもんねぇ」。
この先もまだしばらく、我が国ではペルーは秘境に分類されてしまうんでしょうか。実際Mちゃんは帰国後、多くの人にさんざん
「ペルー?!またかわった所に行くなぁ」
と言われたそう。
いやぁ〜、やっぱり遠いわ・・・。(苦笑) 時々目が覚めては時計ばかり見てたような、あまり時間がたってないのにため息ばかりついてたような。いつの間にか赤道を越えていて、それに気づいた頃に今度はペルー入国カードが配られる。眠いあまり不機嫌になりながら書類に目を通して、ますます不機嫌になる。だってこのカード、記入者のことを全く考えてないんだもん! 記入するのに南米の地図が濃くて邪魔だし、住所はありがた迷惑なマス目におさまりきらない。表記はもちろん英語とスペイン語のみ。「歩き方」見ながら記入するも欄や項目が多々変わっていて、多数間違えたMちゃんは
「もう1枚もらえんかな?書き直したいわ」
と言いながらボールペンで塗りつぶしてる始末。ま、無意味そうで一生懸命書くだけムダな感じだし、ラテンの国だし。
読む側にしたって見にくいに違いないカード
真剣に書くなってことでしょ
だいいち右の税関申告書は
裏面スペイン語のみ
解読できねぇ!
わけもわからず
全部の欄‘No’にチェックしてサインしちまう |
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リマ到着1時間前、実に5回目の機内食。さすがに拒否するも、皆がポリポリとウサギのように食ってるおもちゃみたいなニンジンが気になり、写真だけ摂りたくなって、もっかい姉さん呼んで1食持ってきてもらう。で、袋開けてニンジン取り出してバカうけ。一瞬にして目が覚める。何がおかしいって、超巨漢男のデカい手がミニウサギの餌みたいなコレをつまんでいるだけで十分お笑いの光景。笑いすぎて涙を流す我々を、近辺の人々は不気味に思ったろう。やっぱり徹夜明けのハイ状態か? ヒイヒイと、久しぶりに腹がよじれるほど笑ってしまってあ〜苦しいっ!!
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◆ INFLIGHT MEALS 5回目 ◆
サンドイッチ、チョコレート、ミニキャロット
付属のマヨネーズはわざわざ
脂肪分50%カットなのに
一緒にチョコレート出すところがアメリカ |
ツボにはまった小袋入りミニキャロット
何の加工もしてなくて味無くまずいのに(にんじんスティックと一緒)
皆の口に運ぶ手は止まらない |
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四国から羽田に飛び、京急2時間乗って成田から20時間移動して、5回食事が出てもまだ日付は変わらない。時差のいたずらだけど、にしても長すぎる。四国からだともう24時間以上移動しっぱなしでございます。体が椅子の形に形状記憶される前に、ちゃんと横になりたい・・・。
22:40、ピタリ定刻にリマ着陸! またしても窓側の席の男は1度も座席を離れることがなかった。トイレの遠い男が多いのは偶然か、もしかすると我々が無意識のうちに公害&壁になっていて、膀胱炎になりそうなほどに我慢してたりして? 我々の奥に座ったが最後、ゲームに熱中するすさまじさとやかましさ、バカ笑いしたかと思えば爆睡する2人の日本人の奇妙さと変貌ぶりが怖いあまり声をかけられないとか?? フフフ、ごめんなさいねぇ。長いながら最新鋭の機材と妙な機内食のお陰で意外に楽しめてしまった空の旅でしたよ。とは言っても、いくら面白くてもさすがにしばらく飛行機乗りたくない。飛行機の小さな窓から見えるのは海外にありがちなオレンジ色の暗い街明かりばかりで、着いてもなお南米に来ちまった、という感覚はない。機内アナウンスによると曇り、17℃。
後ろからタラップを降りると、寒くも暑くもない生ぬるい湿っぽい空気が頬をなでる。なにこの湿気!アジアみたい。バスでターミナルへ移動すればイミグレーションはアメリカほど混んでなく、ブースに座っている審査官らは日本人にもいそうな顔ばかり。概して日本人よりえら張ってて面長(つまり顔デカい?)、鼻筋が通っていて浅黒い。それだけで「これがインカの顔かぁ」と勝手に納得する。ペルーもボリビアもビザは必要ないが、ボリビアは残存有効期間6ヶ月以上のパスポートでなければならず、旧パスポートが6ヶ月をきっていたMちゃんは今回パスポートから取得しなおした。
いい加減な入国書類への記入にも突っ込まれることなくすんなり通過して、荷物が出てくるまでの間に両替する。3つも持ってきたというMちゃんの財布のひとつを‘共同財布’にして、それぞれマメにドルを投入し、個人的な買い物以外はそこからまかなうことにする。‘あいのり’みたいに。$40がs./136(Soles、ソレス)になる。つまり$1=3.4ソル。共同財布の管理をMちゃんに任せっきりだった私は、数日後までソル札をまじまじと見ることはないのだったが。
首都にしては小さく迷いようがない空港。南米というと治安が悪いとか麻薬なんてことも思い浮かべてしまうが、夜にもかかわらずいかがわしさやうさん臭さは全然ない。荷物が無事に出てきて税関を抜けると、右側にタクシー会社や旅行会社、ホテル予約エージェンシーなどのブースが並んでいて、スタッフカードを首からぶら下げたスーツ姿の男女が髪を振り乱しながら声をかけてくる。おお、これぞ異邦人が受ける洗礼!カイロの空港ではびびりながら歯を食いしばって逃げ惑った、おっかない客引き争い。でも、カイロみたいに見るからに悪徳そうな男ばかりではなく、断然人数も少なくしつこくもない。そして怖くもない。だって我々には心強いお迎え、予約したペンションのオーナーが来てくれてるはずだもんね〜。
迎えの人でごったがえす到着ホール
数m歩いてすぐ、Mちゃんはこの群衆の中に
漢字で書かれた自分の名を見つける |
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Mちゃんは、後ろからゴロゴロとトランクを押す私のまだ見ぬ、プラカードを持っていたという人物を追いかけ早足で群衆の裏に回る。とそこで我々の荷物に手をさしのべてきたのは思ったより小柄な、琉球の血が流れているのも納得のちょっと濃い顔、沖縄出身日系人のペペさんだった。
「荷物大きいですからお持ちしましょう。」
お互いの紹介は後にして、とりあえず人ゴミから離れ、空港の建物を出てもなお寄ってくるタクシーやホテルの客引きを追い払うように、ぺぺさんはさっさと道路を渡り、駐車場へと急ぐ。
このたびワタクシ、海外渡航20回目弱?(数えたことないんスが、たぶんそのくらい)にして初めて、個人旅禁断のハードスーツケースなんぞを持ってきてみた。ここのところ愛用していた機内持ち込み限界サイズのソフト・トランクだと、前回のエジプト旅は行きからすでに荷物パンパンで、やはり途中からどうにもこうにも荷物が入りきらず邪魔くさかった。晩秋のエジプトは、夏服だけではとてもしのげない。朝晩の気温差が大きいから半袖長袖両方が必要だし、シナイ山に登るためにはダウンジャケットなど防寒対策にスニーカーも2足、タオルすらないかもしれない安宿泊まりのためにバスタオル、そこに少しずつ買ったガラクタが増え、後半はスーパーの袋に入れたスニーカーや衣類をトランクにくくりつけて、ホームレスみたいにぶら下げながら歩いていた。今回は季節が反対なだけでなく、富士山頂より標高の高いところで1週間以上過ごすんである。Tシャツ数枚以外は完全冬支度。移動ばかりだから洗濯もしていられない。ジーンズやパンツなどボトムス5本、セーター・アンサンブル・カーディガン類、長袖シャツにトレーナー、パーカー、Tシャツも2、3枚。さらにはスエット上下とジャケット! エジプトであふれて困ったことや米国を経由して運ばれると思って決めてはいたが、出発1週間前、フリーマーケットができそうなほど次々とクローゼットから出した服の山を見て改めてスーツケースの出番を確信した。(使ったこともなく、使う予定もはっきりしないのに、邪魔になるのに持ってた準備の良さ!オホホ。) 南米個人旅行といえばバックパックでしょ、というアナタ!キャンプしながらインカの山道をトレッキングするような旅でなければ、15kg以上であっても片手で押せる荷物をわざわざ全身で支えて背負う必要はありませぬ。実際、今回の旅でトランクを持ってきたことを後悔するシーンにはぶつからず、渾身の力で階段を持ち上げなければならないような場面はほとんどなかった。むしろ常に荷物がひとつにまとまっていた分スマートで、正解だったと言える。しかし、学生時代の私のほんとの放浪(?)北米経由英国行き50日間!という旅の目撃者のひとりであるMちゃんは、当時の私が持っていた信じられないほど大きなショルダーバッグとその重さを当の本人より鮮明に覚えていて、思い出し笑いしたりする。10年近くたった今なお思い出し笑いされるんだから、よっぽど不格好で滑稽に写ったんでしょう。
「あん時の荷物はすごかったよね〜。」
若かったからできたことで。(苦笑) でも自分でよく覚えているのは、そんな荷物の重さよりも、旅を終えて鏡に映った自身の姿だったりして。肩と腕の筋肉がすごいことになってたの! ちなみにそのバッグは今も我が家の押入れの奥の方に眠っていて、先日引っ張り出してみたら大人1人、赤ちゃんなら3、4人くらいは余裕で入れそうな、布団袋みたいなデカさでした。
夜11時過ぎでも大混雑のリマ空港
先を急ぐペペさんに
小走りでついて行きながらも
振り返って必死で撮影 |
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そんな私のトランクを持ってスタスタと行く当山ペペさんは、リマの日本人御用達ペンションのオーナー。日本人移民の多いペルーでは、日系人や日本人が経営する宿や旅行会社も多い。最初は南米まで行ってわざわざ日本人の多いところに落ち着いててはイカン、日本語に甘えるのもイカン、と思っていた。しかし「歩き方」に載っているホテルは選びきれず、だいたい広いリマの町のどこに泊まるのがいいか皆目見当がつかず、とにかく評判のいいところを、と旅行記HPを渡り歩いているうちに見つけたひとつのサイト「旅する花」。じっくり読んで居心地よさそうな様子と、沖縄民宿にそっくりな感じが見えたから決定!
“Mちゃん、ペンション当山にメール打ってみて!”
そして部屋の空きを問い合わせたところ、時差も距離も感じさせないスピーディーさで、とっても感じのよい親切な返信をくれたのでした。もちろん宿のHPと、宿泊した方々の書き込みもチェック。
> ○×さん、初めまして。私はペルーの日系三世の当山ぺぺと申します
> 当山ペンションのオーナーです。
> 5月28日と30日ツインの部屋が空いておりますので予約させて頂きます。
> リマの空港に迎えに行きます。空港に着いたら探して下さい、
> 漢字で(当山ペンション)○×様と書かれているプラカードを持って立っています。
> 最近、必用な旅行会社やホテルの勧誘がありますが、どうぞお気をつけてお見えください。
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ところどころ誤字があるのに逆に親しみを覚える私。(ぺぺさん、失礼!笑)
人ゴミから逃げるように慌ただしくトヨタの普通車ワゴンに乗り込むと、ペペさんはバックで車を出すのに振り返りながら
「空港からペンションまでは20分くらいかかります。リマは初めてですか?」
「初めてで〜す」
ペルーも初めてデス。南米も初めてで〜す。聞きたいことはいっぱいあるはずなのに、ありすぎて何から聞くべきかわからない。時差と長時間の移動が完全に頭の回転を鈍らせている。
南米も北米同様車社会なのだ。道路は広くちゃんと整備されているが、空港を少し離れれば、週末というのに人通りも照明も車も少なく町は閑散としている。暗くてよく見えないけれど、道路の両側に続く低い建物(ほとんどが普通の住宅)はカラフルなペンキで塗り分けられている。隣を並走する乗り合いタクシーは、これでもかってほど人も荷物もギュウギュウに詰めこんでいてアジアみたい。(家畜が乗ってないところがエジプトやアジアとは違うかも?) 車を走らせながらペペさんは、リマには雨が年間2ミリしか降らず、万年水不足気味なこと(貧しい家は1日12時間断水!とか茶飯事だって)なのに曇りがちで湿度が高いことを話し、途中にある建物のことを説明してくれる。日本人学校、動物園、人類考古学博物館。昨年、日本人移住100周年?だかの記念式典がリマで盛大に開かれたそう。動物園は中にプレインカ(インカより前の時代)の遺跡があって、車で横を通り過ぎるだけでも10分くらいかかる冗談みたいな広さ。ペンションから歩いて5分の(とても5分とは思えない距離な気がしました・・・)人類考古学博物館にはミイラがたくさんあるらしく、ペペさんおすすめの博物館らしい。
「これはブラジル通りと言います」。
少し細い道に入ったかと思うとごく普通の1軒家の前で車は停まる。ペンションや外から見て宿とわかる看板はいっさい出していないどころか、2階建てと同じくらいの高さの鉄格子みたいな柵で道路とは隔てられている。そもそもゲスト用には4部屋しかない小さな宿だが、犯罪に狙われないためだろう。そして、
「今、3階を建て増ししています」。
ぺぺさん家に到着したのは12時前、やっと日付が変わる頃。開けられたドアの内側はすぐ2階への階段になっていて、ロビー兼居間みたいな部屋に通される。部屋にはNHKBSや日本語放送も見られる70チャンネルのCATVが入った大きなTV、その横にインターネットコーナーとミニミニ図書館があり、本棚には10冊ほどの『歩き方』に混じって『変なおじさん』や『TRY』(吉本ばなな)が並んでいる。テーブルの上には日本語の新聞。ペペさんはソファで休んでいるように言って奥へ行ったかと思うと、すぐコカ茶の入ったポットとカップを出してくれ、ウェルカム・コカティーでもてなしてくれる。高山病に効くと、アンデスで好んで飲まれるコカ茶。香りはかいだことのありそうなハーブ系だが、口に残るエグみとほんの少しの渋さ・苦さが独特、初めての味でちょっぴり飲みにくい。ゴーヤ茶が飲める人なら大丈夫だけど、ソバ茶や杜仲茶が苦手な人には無理って感じ。
今夜は他に宿泊客はいないのか、もうお休みなのかとっても静か。ペペさんに我々の予定を聞かれ、コカ茶をいただきながら簡単に打ち合わせをしておく。明日バスでナスカに行き、1泊して明後日戻ってくること。しあさって早朝6時のフライトでクスコに発つことなどを言えば、ペペさんはものすごい早さで全てを飲み込み、ナスカへのバスの時間やターミナルの場所とタクシーの相場、ナスカのおすすめホテル(彼やここのお客さんのお薦めは、我々がまさに泊まろうとネット予約をしていたところでした!)、クスコに発つ日の空港までの送迎、さらにはプーノのおすすめホテル・・・と簡潔でいて必要十分な情報を提供し、立案・アドバイスしてくれる。日本での情報の少なさには最初辟易しながら、それでも調べているうち決して個人旅行の難しくない国なことが見えてきて(エジプトを基準に考えると何だって楽勝かも・・・恐るべしエジプト)、5月にはすでに余裕ぶちかましていた我々。現にこうして来てみても、後ずさりしちゃうような強烈な印象は受けていないし、そんなに大変そうな感じもしない。ましてや秘境なんかじゃありません!って着いてまだ1時間もたってないけどね。
ご両親と1階に住んでいるぺぺさんは、何かあればインターホンでと言って先に休まれる。沖縄民宿を思わせる広い共同浴室でシャワーを浴び、歯を磨いてロビーで先程のコカ茶の残りを飲む。カップを洗いに立った共同キッチンの冷蔵庫には結構いろんなモノが入っていて、インカコーラと並んで泡盛があるところがただの外国のペンションではない。会話も目に入る活字も日本語のせいで、はるか1万5000km離れた地にやって来たとはとても思えない。沖縄の離島にやってきたような錯覚にとらわれて携帯の電源を入れ‘圏外’になるのをボンヤリ見つめるが、それでもまだ電波の悪いところだと思ってしまいそうになる。静かにゴソゴソしているとトイレに立つ物音がしたから、他に少なくとも1人は泊まってるみたい。
眠い極限を超えていながら、ベッドにおさまったのは2時を回る頃だった。
Continue... |
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